キューライス記

1985年生まれの男。漫画、イラスト、アニメーションなどを描きます。お仕事のご依頼はこちらのアドレスにどうぞqraisqrais@gmail.com。       キューライス制作の短編アニメーション「鴨が好き」公開中https://www.youtube.com/watch?v=48-RA4BNXVc

トイストーリー4

「トイストーリー4」を観て来たから下にネタバレありの感想を書きます。まだ見てない人は見ないでね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

映画としてはとても面白く、演出もアニメーションも高レベル、ほろっとさせられる部分もあり素晴らしかったと思います。

 

しかし「トイストーリー」としてはどうだろうか…。特に主人公ウッディに対しては幼いことから親しんで来たキャラなだけに思い入れの強い人もいるだろう、そういった方がこの映画のウッディを見てどう思うか…。

 

この作品に登場するゴミをくっつけて作られた「フォーキー」という名のおもちゃは自分のことを「ゴミ」だと思っている、しかし、フォーキーを作り大切にしている女の子ボニーにとってフォーキーは紛れもなく「おもちゃ」という認識だ。

これを踏まえると、今回のウッディは「ゴミ」であるという悲しい事実が浮かび上がる。ボニーには遊んでもらえず、両親には踏みつけられるその姿の悲しさ…、自分の存在意義を見失ったウッディが必死にフォーキーを助けることの執着する姿、「俺にはこれしかない」とい言わざるを得ない彼にはもうかつての生き生きとしたリーダーの姿はなく、ひたすら悲壮感だけが漂ってくる。

 

「トイストーリー」でアンディに「もういらないや」といわれてゴミ箱に捨てられる悪夢を見るほどに恐れたその「ゴミ箱」に自分から入り、自分はそのままにそこに止まり、飽きることなく突っ込んでくるフォーキーをベッドに投げ返す。

 

ゴミ箱がおもちゃの墓場だとするなら、この映画のウッディはもはや死んでいるといえるのではないだろうか?

 

「おもちゃ」か「ゴミ」かの違いが持ち主に必要とされているかいないかでいうなら、やはり間違いなく今作のウッディは「ゴミ」になってしまったように感じた。

 

そこから巻き返して、一度ウッディを失ったボニーが「カウボーイがいない!」となるかと思ったらそんなことはなく、この映画のボニーの関心は最初から最後までフォーキーの一辺倒。

 

フォーキーと勘違いしたボニーに抱きしめられた時のウッディの安堵の表情、こんな残酷なシーンをよくぞ描いたと関心したほどでした。

 

ウッディの死の物語、と割り切ってみればなるほど納得できる。ボーと高いところから下界を見下ろすというのは天国のメタファーにも見えるし、1から印象的な壁紙の雲すら天国の雲に見える。

 

今作のウッディの役目はあの世とこの世の境目からフォーキーを現世に投げよこし、ギャビーを現世に投げよこすことだった。そして、自分自身はあの世にいることにした…先に死んでいったボーと共に…。

 

ウッディが最後にいうところに「無限の彼方」とは天国を指すのだ…。

 

そういうふうにしか私には見えなかった。

 

あまりに辛い…。せめて最後に家に帰ったボニーに「カウボーイがいない!」と泣いて欲しかった…そこで両親に「カウボーイはきっとおもちゃの国に帰ったのよ、そこでみんなと仲良く暮らしているのよ」などと言って欲しかった、それを聞いたボニーが「どこかでウッディが元気に暮らしている」と想像する、それによっておもちゃは持ち主を失っても動き続ける力を得らえる、ということならよかったのに。

 

子供の「僕が見てない時おもちゃが動いている」というよくある妄想が「トイストーリー」世界の根源だと思っていたので…。

 

全体に漂う「死」の空気、それがとにかく恐ろしい映画でした。

 

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