「ウサギと行く春の京都旅③ ウサギ引き、鞍馬パワーと山イナフ」
翌日23日、なぜか5時に目が覚めてしまった。
眠っているスキウサギを起こさないようにして、一階の大浴場に赴く。やはり誰もいない、貸切状態である。
大浴場とは行っても、マッチ箱みたいなサウナ、桶みたいな水風呂、室内浴槽、ささやかな露天風呂(富士山の岩盤を使用しているだけで、温泉のように見えるが決して温泉ではない)があるだけ。
しかし、旅行先の朝の露天風呂ほど嬉しいものはない。
露天風呂と室内浴槽を行き来して、浮かんだり、沈んだり、そして体が火照ると、水風呂に体育座りしてクールダウンする。
お風呂はやっぱりファビュラスだ。
部屋に戻るとまだウサギはいびきをかいていた、仕方がないので出発までの時間、原稿を描いて過ごした。
そして、8時になっても布団でヘムヘムしているウサギを引きずって出発した。
電車を乗り継いでどんどん山奥へ入っていく、目的は鞍馬山。
パワースポットと聞いてそのパワーをせしめようという、浅ましい気持ちでやってきた私である。牛若丸が修行した山としても有名な山。
鞍馬駅を降りるとさっそくでっかい天狗のオブジェが置いてあった、そう、鞍馬山には天狗が住んでいるのだ。
天狗の妖怪ではなく「神」寄りな感じが好きだ、なんか強そうで。
ケーブルカーという名の文明の利器は無視をして、己の足でわしわしと鞍馬山を登る。
と、その前に手水で身を清めるのを忘れてはいけない。
神聖な地に足を踏み入れる以上、これはマナーというもの、しかし、外人ならともかく同じ日本人なのに手水をしないでスルーする人が多く見受けられて、残念な気持ちになる。
そんなことではせしめられないぞ、パワーをっ。
ウサギがそのうちの一人の喉元に噛み付いていたが、敢えて制止するようなことはしなかった。
ああ、山の清んだ空気が美味しい。
胸いっぱいにその空気を吸い込むと、朗らかな気分と溢れる鼻水に出会うことができた(花粉症)。
なかなか大変な思いをしながらも、本殿金堂に到着した、お経が厳かに詠唱されていて実に穏やかな気持ちになる。
この鞍馬寺の教えは
「鞍馬山の信仰は、宇宙の大霊であり大光明・大活動体である 「尊天」を本尊と仰いで信じ、「尊天」の心を我が心として 生きてゆくことで、尊天信仰と言います。尊天とは、人間を 初め、この世に存在するすべてを生み出している宇宙生命・ 宇宙エネルギーです」というものらしい。
なんだか壮大…、昔、気まぐれと好奇心からスピリチュアルカウンセラーに見てもらったが、その時「あなたの役目は宇宙からのメッセージを地上に下ろすこと、あなたは人間というより精霊に近い」と言われてちょっと引いた事を思い出していた。
その後、我々はさらに奥の院参道を登った、途中ある霊宝殿には義経所有のものとされる刀がぽんっと置いてあってかなりびびった。キャプションがノート紙に手書きで書いてあって、内心「ほんとかよ…」思ってしまった私を許してほしい。
ただ、ここの仏像奉安室は凄かった。薄暗い畳敷きの部屋に居並ぶ毘沙門天の像、重文国宝のオンパレード、それらの像の前に立つと自分という存在がちっぽけに思えて来て、自然に手を合わせてしまう。
しかし、それと同時に、「ここの仏像が一斉に動き出して襲いかかって来たらどう戦おうか」という限りなくアホな事も考えてしまった。
この狭い部屋で戦うのは不利だから、一度、外に出て…とブツブツ言いながら、さらに山の奥へ分け入っていく。
急な坂をひーひー言いながら登っていく、正直なかなかきつい。
スキウサギは
「もう!山イナフ!」と叫んでいる、
山に住んでいるお前が山を否定していったいどうするというのか…。
やっとの思いで鞍馬山の奥の院、魔王殿にたどり着いた。
ここでパワーをいただくのだ。
突如として私のまわりに出現した神々しい五つの光の球が一つになり、丹田にスッ吸収されていった、すると肌が薄ぼんやりと金色の光を発し、というようなことは一切なかったが、いい気分になってことは間違いない事実だ。
パワースポットで大切なのは「パワーを受け取ったつもり」になり切ることなのだ。
というかウサギはパワーを受け取りすぎたのか、耳がこうなっていたがあえてそこには触れずにいた。
そして、いつの間に買ったのかビッグマックをむしゃついていた、こんな神聖な地でそんなアメリカっぽいものを食いやがって、お前は初期のテリーマンか。
それに私のぶんはないのか…。
つづく。