「未来世紀ブラジル」
クリスマスイブです。御法度の裏街道行く独り身の渡世人の私にはまったく関係ないイベントごとです。
ところで、クリスマス映画と呼ばれるものがある。
クリスマスの時期を舞台にした映画の総称で、有名なクリスマス映画で言えば「素晴らしき哉、人生」、「ホームアローン」、「ナイトメア・ビフォア・クリスマス」などが挙げられる。
しかし、意外にもクリスマスの時期を舞台にしていた名作映画というものも存在する。
鬼才テリー・ギリアムの最高傑作の呼び名の高い1985年公開の映画「未来世紀ブラジル」もそんなクリスマス時期を舞台にした映画の一つである。
近未来の行き過ぎた管理社会。情報省に勤めるしがない役人のサムは夢に度々現れる美女に憧れを抱き、その女性を追いかけるに連れて徐々に身の破滅へ向かっていく…。
「バロン」、「バンデットQ」、「フィッシャーキング」など「夢想と現実」というテーマで様々な映画を作ってきたテリー・ギリアムのひとつの到達点とも言える作品。
この映画の描く近未来では爆弾テロが頻発し、貧富の差は激しい、どんな些細なことにも書類が必要になる、まさに人間性が欠落してしまった悪夢のような未来である。
では、そんななかで夢の女を追いかける主人公サムは人間らしい純真な人間といえるかというと、実はそうではない。
満員電車のなかで目の前に身体が不自由な女性が立っているにも関わらず、サムは夢の女をメモに描く事に夢中で席を譲ろうとはしないし、ピンチの時には整形狂いの母親のコネに頼り、レストランで爆弾テロが起きてたくさんの人々が被害を負うなか彼が気にするのは注文したステーキが焼きすぎだということだ。
そう、この映画の主人公はどうしようもない自己中心的な人間なのだ。この映画を初めて見た頃の幼い私はサムに同情もできたが、大人になり勤労者になった今になってサムに対して思うことは「恋にうつつを抜かす前にちゃんと働け」である。
この映画でまともな人間と言えるのはヒロインのトラックドライバーか、フリーのダクト修理工タトル氏(ロバート・デ・ニーロ)くらいだ。
また、住宅や街を乱暴にダクトが貫く世界観が面白い。映画のオープニングも最新型のお洒落なダクトのテレビCMだ。国民にとってダクトは無くてはならないあって当たり前の存在であり、その一方でダクトの存在によって国民のすべての行いが政府に「筒抜け」なのだ。それはさながら現代のインターネットのよう。
徹底的に管理された社会で、人々の関心があることといえば何事もルールを強要し、自己の秩序を守ること。レストランのウェイターは意地でも番号で注文させるし、ダクトの修理工は素人の勝手な修理を許さず、伝票に怯える(伝票に対する怯え方がかなり面白いので注目してほしい)。
そして、何かと話題になるのが問題のラストシーンだが、この終わり方がハッピーエンドなのかバッドエンドなのかは見た人それぞれで考えてみてはどうか。
イブで土曜日という事はカップルでTSUTAYAに足を運び「これみよっか〜」「え〜前見たじゃーん」的な会話を展開なさる方もいるのではないだろうか。そんなときにこの「未来世紀ブラジル」を見て二人でアンニュイな気持ちになっては如何だろう。