「の、ようなもの」
「家族ゲーム」、「間宮兄弟」の森田芳光監督によるデビュー作品。
(あらすじ)
二つ目の若手落語家・志ん魚(しんとと)は23歳の誕生日を祝うためにソープへ行く、そこで出会ったソープ嬢エリザベスと付き合うことなる。しかし、ふとした縁から女子高生の由美とも付き合うことになり、二股交際が始まる。ある日、由美とデートした帰り由美の父親とバッタリ出会い、由美の実家へ招待される。そこで意気揚々と古典落語「二十四孝」を披露するが、由美の父親から「なってないねぇ」と批評され、さらに由美からも「志ん魚さんの落語、下手よ」と言われてしまう…。志ん魚は茫然自失で終電のなくなった夜の浅草を彷徨い歩く…。
デビュー作にして森田芳光節が完成しているのに驚いた、あの独特の会話運びは森田監督作品の醍醐味ではないだろうか。そこに伊藤克信の栃木訛り、のような不思議なイントネーション(悪く言えば棒読み)が加わるから、さらに不思議な会話運びとなる。
幻惑のようなシーン、登場人物の理解不能な行動も楽しい。ソープ嬢のエリザベスは風邪をひき、その熱の上がり具合をカラフルな線グラフにして壁に貼り「色を塗るの大変だったの…」とつぶやき、女子高生の会話には「インベーダーゲーム」の音が裏に流れ、由美の父親は風呂に入りながら分厚い辞書のような本を読み耽る(しかも、湯船に落とす)。
しかし、中盤の団地テレビ局の天気予測クイズはダラダラしていて、あまり面白くなかった。落語家を主人公にした作品にもかかわらず、落語にまつわるシーンは以外と少ない。
終盤、由美とその父親に自分の噺を散々に言われた志ん魚が、堀切駅から浅草に向けて「道中づけ」をしながら歩くシーンは素晴らしかった。
「道中づけ」は古典落語「黄金餅」が有名、登場人物の進む街並みを一気に言い立てる型のようなもので、落語における観察にもとずいた風景描写の最たるものである。
自身を否定されて落胆する志ん魚は静寂に包まれた街並みを事細かに「道中づけ」しながら歩く、なぜか語尾に「シントト、シントト…」と呪文のようにつぶやきながら…。
「水戸街道に入ると昔ながらの商店が蚊取り線香の匂いをたててディスプレイをしている。
地下足袋一ダース三百八十円、自慢焼一個六十円、サクサクしたソフトクリーム一個百円。
一息入れたい、シントト、シントト・・・。」
並みの監督ならここで歩きながら古典落語をぶつぶつ呟かせて終わらせてしまうところを、さすが森田監督!と拍手。
若い頃に誰もが経験する、挫折と長い夜をこれ以上ない演出で魅せてくれる。今は見ることのできない昭和の香りの残る街並みも面白い。
なんとなくハズレが多い、落語家を主役にした映画のなかで「の、ようなもの」は一際輝く魅力がある落語家映画だ。
↓森田監督ではないけど続編の「の・ようなもの のようなもの」も悪くなかったです。