落語か落語でないか
人間は二つに分類することができるといいます、「落語か」「落語でないか」の二つです。
落語を「人間の業の肯定である」と定義した立川談志は「落語は忠臣蔵の討ち入りした方じゃなく、逃げちゃった残りの赤穂藩士253人が、どう生きるかを描くもんだ」と言っていました。
つまり「討ち入りした立派な武士たち」は落語ではなく、「討ち入りしないで逃げちゃった情けない奴」は落語となるのです。
その定義でまわりを見渡してみれば、いろんな人物を落語と落語でないものに分類できます。
「レ・ミゼラブル」のジャン・バルジャンは落語ではなく、宿屋の夫婦は落語といえるし、ハリー・ポッターは落語でなはなく、ルシウス・マルフォイは落語だし、「ゲゲゲの鬼太郎」のねずみ男なんて完璧に落語だ。
そうして考えてみると、私自身は落語だろうか…、落語でありたいと思いつつも、どうしても神経質に真面目に考え込んでしまうのです。
逃げ出したいときにパーっと逃げ出す、そんな落語な人間でありたい。